2019年が初まりました。
明けましておめでとうございます。
去年最後ギリギリに絵を描きたくなって名刺サイズの絵を6枚描きました。下記参照)
Twitter、Instagramでは、詩のような、言葉を付け加えてみたり、、書いたかな。様子を見ています。
今はタグとか検索でなんでも来てくださいますから、些細な言葉からでも絵に触れてもらえる機会があると良いのかな…と思ったり。
でも絵やその時浮かんだ言葉であって、絵のタイトルではないです。
年末年始は家族と過ごしていたんだけど。
今年のお正月は、なんだか正月のようで正月じゃないような
変な感じがしました。
なんでだろう。。。
ハッピーニューイヤー!☆なテンションに全然ならない…というか。
変な感じです。
この絵は、今年初に描いた絵です。
言葉は
:
息を吹いて身を感じつつ
浮上する先の光
:
と書きました。
いつも絵には、何かしら込められているモノはあるのですが、これはちょっと大きいかもしれないです。
『息を吹いて身を感じつつ、浮上する光。』みんなどう受け取るのだろう。
私は楽観的な人間じゃあまりないので、こういう絵や言葉になるけれど
信じる気持ちや、成るようにしかならないという事や、
結局どんな響きの良い言葉や夢のある言葉も、現実が目の前にあり、そこを突破しないと先には進めないし
パソコン検索したところで、自分の地区が災害にあったら、そんなモノなんの使い物にもならなくて
でもそんな現実も、更には「自分の身体」という最も身近な現実があって、
そこには悲しくも「限界」があって
しかもそれは人それぞれで
自分は自分しか生きられない、どんなに憧れがあっても
けれども
人と同じ道など誰も歩けない、それが個性であって、
その個性から発せられた発言や創造物は、誰のモノでもない大切な自分の存在価値で
自分が感じることや感じてきたこと、痛みとなって、限界があっても、
マイペースをやりくりし、
いつか有るべき姿になれるはずだと、信じている。
というか、有るべき姿にしかなれない。
けどその為には一人では難しい。
だから私は身の回りの人や、辛そうな現実を前にすると
このような絵になるのです。
大切にしたい想いがあります。
人の痛みは、些細な事でも、将来的に見て、バカにはできません。
とはいえ
ただただ、
こんなことしかできないんだけど
「限界」は、ちょっとずつ、広げていけたらいい。